面白いゲームってなんだった?

消費者側としての自覚があるうちに、私がこれまで面白いと感じたゲームの特徴について記しておこうと思う。

 

シナリオあってのゲーム

私がゲームをする理由の一つは、シナリオを楽しみたいからだ。先の読めない展開、魅力的なキャラ達が描く重厚なヒューマンドラマ。そういったシナリオをゲームを通して楽しむのが好きだった。

だから私は、ゲームを極めるということをあまりしてこなかった。シナリオが終われば、その途端、そのゲームに対する興味ややる気をパタリとなくすのだ。そうして、また次のゲームへと手を伸ばして、エンディングを迎えればその次のゲーム・・・そうやって、ゲームを楽しんできた。

だから、モンスターを狩るゲームだとか、ブロックを積むゲームとか、ましてや、何かを原作にした先の分かったシナリオのゲーム、そういう類のゲームには全くといっていいほどはまらなかったし、やりたいとも思わなかった。

 

ついていけない世界観は勘弁

ファンタジーゲームにあるあるの、世界観の説明やオリジナルワード。何がなんだかわからんワードばかり発するNPCには疎外感を感じた。理解しようとするのではなく、感じられる世界観が理想的なのだと思う。いろいろ考え込んで作りあげられた世界なんだろうが、そういう世界観はヒューマンドラマを通して見せてくれる範囲でいい。直感的に目で見てワクワクする世界があれば、それでいい。

 

不幸なシナリオほど、大好物

他人の不幸は蜜の味ではないが、不幸を積んだキャラにはやはり一定の同情の余地があるというものだ。幸せばかりでいつもニコニコした奴には、思い入れようがない。キャラの魅力というのは、そのキャラ自身の持つ闇の部分から引き込まれていくものではなかろうか。漫画とかで○○の過去編だとかが始まると、いつもワクワクしていた。そのキャラをもっと知れるような気がするし、人単位での隠された真実に触れられるような気がするからだ。

 

死ねばいいってもんじゃない。

不幸なシナリオは好きだ。だけど、ある時から私は、死ネタで涙を誘う展開が嫌いになった。それは、某ゲームでのことだった。エンディングで主人公達が死にたくないと言いながら、瓦礫に積まれて死んでいったのだ。曲も流れて雰囲気良さげに醸し出していたが、胸糞悪かった。死ねばいいってもんじゃない。死ねば感動するとでも思ってんのか?そんな思いを持つようになった。それから、同じシリーズでまた主人公が死んだ。救えたifエンドまで出てきて、ことさらに主人公が死んだ意味が分からなくなった。

綺麗な映像や感情こもったセリフで感動させようとする演出が、受け入れられなくなった。

だけど、しょうがないもので、人の死というのはその人の心に深く残るのだ。その時の感動とともに記憶されるのだ。

どうやったら、死なずに心に残るエンディングを迎えられるのだろう。

 

まとめ

いろいろと書き連ねたが、結局私の好きなゲームは、ヒューマンドラマがゴリゴリに入ったオリジナルのシナリオが、映像と共に展開されるゲームだ。ぶっちゃけバトルはシナリオの展開が気になるという気持ちだけでやっていけるので、ストレスがそれほどなければなんでもいい。それってゲームの意味あるの?と言われるかもしれないが、そういうのをゲームに期待して遊んできたのだから、しょうがない。少なくとも、これが消費者側の立場としての私の思う、面白いゲームだ。