ゲームと私
自分の生活のほとんどはゲームで成り立っている。
ゲームクリエイターになりたいという夢を持った小学生の頃から、退屈な授業や興味のない行事なんかの全ては、ゲームに使えそうなアイデアを探す時間として捉えていた。
日常のありふれたものから、ゲームのアイデアを探してはメモをする。
頭の中には、常にゲームの世界があった。
<小学生>
いとこに貸してもらったゲームが、私のゲームクリエイターを志すきっかけとなった。
「FINAL FANTASY」と記された、表がほぼ真っ白なパッケージの中に込められた世界に、当時小学4、5年生だった私は時間も忘れて没頭した。
それからFINAL FANTASYの他の作品も遊ぶようになり、気づけば私はFF信者となっていた。
小学6年生の頃には、発売前のFINAL FANTASY XIIIのHPを毎日見ては、キャラクターや世界観の設定を隅々まで読んで、心を踊らせていた。それから数年後、私はあるタイトルを知ることになる。
そのタイトルの名前は「FINAL FANTASY Versus XIII」、後の「FINAL FANTASY XV」である。*1
中学生
運動が苦手なのに運動部に入部してしまい、ストレスが最大級に溜まっていた中学生。部活が休みの日には命がけのようにゲームをして、部活のストレスを発散していた。
ためたお小遣いで中古のPS2を買ったのもこの頃だ。PS2はやはり名作が多い 。KINGDOM HEARTやFF Xなど、あの頃やったゲームは全てが過去補正されて、今もなお私の中で名作として心に残っている。
あの頃、ゲームは私にとって確かに生きがいだった。
それと同時に、一年かけて一作品の長編小説を書くことを始めた。この創作は、後に5年まで続き、5つの作品が出来上がった。もちろん全て、ゴリゴリのシリアスファンタジーだ。
高校生
高校生活が楽しすぎて、この頃は少しゲームから離れていた。
代わりにゲームをするのではなく、作りたいという気持ちが強まっていた。自分の頭の中にあるものを形にしたいという熱量が、私の手を動かした。
初めはHP制作。自分の好きなFFタイトルについて紹介したHPは、htmlとcssという初めて触る言語に四苦八苦しながら作られた。
次はMAD制作。好きな場面を好きな音楽と共に合わせて編集した。黒歴史極まりないのに、あの時の私は、出来上がったことが嬉しすぎて、作ってすぐに母親や友達に見せていた。
それでも、私には作れないものがあった。
それは、大本命のゲームだ。いろんなサイトを見ても、環境設定から挫折してしまって、気づけばゲームに使いたい素材だけ集めて、受験期が訪れていた。
<大学生>
「ゲームを作りたい」
その思いだけが、私を突き動かしていた。
入学してすぐにゲームサークルに入って、そこで簡単なゲームの作り方を教わった。それからいろんな活動を通してゲーム制作のために必要な技術を独学で勉強した。
でも、知れば知るほど、自分の頭の中の世界を形にすることの難しさを痛感した。
絵はかけない。モデリングもできない。プログラミングスキルだってほんの気持ち程度。
自分に足りないものが沢山あって、それでも、なんとかしてiPhoneアプリとしてゲームをリリースすることができた。
気づけば私は、大学3年生になっていた。
ゲームを完成させることは難しい。
それでも、一度自力でやったら、なんだか自信がついた。
リリースしたその日には次のゲームのことを考えていた。
それからチームでのゲーム制作もやってみた。そこで初めて、人と何かを作ることで、自分の手の届かないものまでが形にできることを実感した。だんだんと自分のできる範囲でしか動きたくないという考えが強まっていたその時期に、そういった経験ができたのは貴重だったと思う。それもまた、iPhoneアプリとしてリリースすることができた。
やっぱり、ゲームを完成させるのは大変だった。それでも、楽しかった。
こうして就活が始まるわけだが、その話は別の記事で書こうと思う。
結局のところ、私はゲームが好きで、ゲームが作りたくて、ここまで生きてきた。
勿論、ゲームが生きる理由の全てとは言い切れないけれど、その存在は常に自分の人生における1つの目標なり指標となっていた。
*1:後に就活で絡んでくる